※痛い企画様に提出させて頂いた作品です、精神的に痛い描写がございますので閲覧の際はご注意を。
















           


    





            
「ていうかさー、マジ千石くん信じらんないんだけどー」
            
「2組のかなにも声かけてたんでしょ?」
            
「そうそう!しかもかなの親友にも手出してたしー」
            
「うっそ、あの子彼氏いんじゃん?」
            
「でももう別れたっしょ?」
            
「あたし、そのせいで別れたってきいたけど?」
            
「「「えええええ〜?」」」


            
夜の繁華街、まだ帰らない学生で賑わうファーストフード店で、今日もあの男は話題の中心になっている。車のライトとビルのネオンに交互に照らされて下品な蛍光色に彩られた店内は、色とりどりの制服と何十本もの生足で構成されている。飲み終わったシェイクのストローをがじがじ齧りながら(その話題もーふるいよ、あいつは今この間転校してきたあのお嬢ぽい子に夢中だよ)なんて思いながらあたしは適当に相槌うってる。でもそれを言っても、またコスメと男の子と噂話しか好きじゃないこの子らの、人生の10分の暇つぶし程度にしかなんないなと思ってやめる。

            
「でもよくついてくよね〜?声かけられたからってさ」
            
「あたし千石くんだったら絶対警戒するー」
             
            
なーんて言って頬杖ついて笑っている横の子は、千石に声をかけられたこともない。でもその口元は何かを期待している風ににやけていて「千石くん」の発音は甘ったれていた。


「でもさー、あれじゃん?」
            
「んー?ああ」
            
「千石くんねえー」
            
「「「顔だけはいいもんねー」」」


            
まるでそのことが全ての免罪符のように、千石についての話はいつもそこにたどり着いて終わる。「軽い男、ひどい男、最低な男」と口々に罵っても、結局みんな本心では千石をちっとも嫌っちゃいない。軽くてひどくて最低で、でも顔のきれいな男が「本当は君だけなんだよ」といつか言ってくれるのを心の底では望んでいるからだ。千石はそんな乙女の馬鹿げた可愛らしい妄想と願望をみたすにはパーフェクトにうってつけな男だった。

            
ぶるる、と携帯が震えて「帰りを心配する親かな?」と思ったあたしは、その後に鳴り出した特定の着メロにうんざりする。わざわざこんなタイムリーな話題されてるときに連絡がくるとはほとほと注目されるのが好きな男だな。


「あっ親だ」


簡潔に言って、わざと仕方なさそうにトレイをもって立ち上がったあたしに「おっけー」と彼女らは軽く言って手をふる。あたしがトレイのごみを備え付けのボックスに放り込んで店を出た瞬間に顔を寄せ合って噂話をはじめた彼女ら。(また千石のことかな?それともあたしに秘密の彼氏でもいるんじゃないかって噂してんのかしら?..............ていうかこんな夜の緊急呼び出しなんてまた浮気がバレたのか、ゴムがないか、それとももう遅くってピルくれって泣きつかれるのかな?うざいなー)と思いながらあたしは騒がしい嬌声で満たされた店内を後にする。


「適当に駅周辺で〜」とメールしてきたその男は思ったとおりすぐに見つかった。ごみごみと人が密集する駅前の街灯下でも、その派手な赤い頭といかにも甘い顔の作りに、通り過ぎる女子高生の視線がいったん奴の上で止まる。文字通り色がついた男はあたしをみると「お〜い」とへらへら笑いながら立ち上がった。携帯片手に軽い足取りでこちらに来て「ねえねえ、今通った子みた?ちょー可愛くなかった!?」と開口一番にほざく。

            
「みた」
            
「あのさー今週のヤンマガのグラビアの子に似てたんだよ、なんだっけー.........栗田、栗田」
            
「栗田まりえ?」
            
「そうそう!その子!」
            
「本人じゃね?」
            
「うそ!?」


横を歩きながらテンション高く「マジだったら声かけりゃーよかったよ、ミスったー」と言いながら、そのまま「でも俺、本当はその前の号の子のほうがさー」とか「昨日学校の練習試合でねー」とか「亜久津がたばこ見つかってさー」とか、日常のごちゃごちゃしたことを言い出してなかなか確信をつかなくて「どっか入る?」と聞いたあたしに「あっごめん!お腹減ってるよね!?」と言って30分前あたしがどこにいたかも忘れて、ファーストフード店に入ろうとした時に「こりゃーかなりの重症だな」と思った。


千石は誰かに惚れそうだと思い込んでる時にときどきこういう風にぶっ壊れる。大抵は相手がもう少しで落ちそうになっている時に、そしてさも彼女をたぶらかす自分は大悪党で卑怯な男で、それでもそんな彼を愛せる彼女は天使のようだと恥ずかしげもなく告白する。口説いて、触って、見つめて、突き放して、相手がいなければ世界の終わりというような目をして..........あのすがるような目で。そうしてそれら全てが「千石くんだもんね」で片付けてもらえる魔法の言葉への壮大なる前フリなのだ。すべてが終わって彼がその役に飽きれば、後に残されるのは「いつか自分だけだと言ってくれるはず」という妄想を抱いて処女を失った可哀想な女の子だけ。頭を抱えて「もうどうしていいか俺わかんないよー」と言いながら自然にすっと車道側を歩いてくれる彼の冷静さに、やっぱり女の子たちが優しく騙されるのにうってつけの男だと思った。


適当に目に付いたイタリアンカフェに入ってコーヒーを頼む。5月とはいえ、迫りくる梅雨とその後の夏の暑さの予兆が氷をぐだぐだに溶かしてしまいそうで、アイス入りを頼むのは止めた。千石は指を柔らかそうな髪につっこんでこちらを見つめている。

            
「で、あの転校生の子?」
            
「そうそう、京都から転校して来たんだって、すっごい良い子でさ」
            
「うちのクラスでも噂になってたよ」
            
「うん、俺が初日に案内係やって色々校内回ったんだ」
            
「ふーん、付き合うの?」

            
運ばれてきたコーヒーに口をつけて、熱さに顔をしかめて戻す。千石はあたしの質問には答えず、目の前の黒い液体に手もつけないで眺めている。その目の焦点が、あたしの手元でぐるぐると渦巻いて黒い液体に溶けるクリームと砂糖の渦に合わさったとき、ポツリと奴は呟いた。

            
「俺さー..........」
            
「ん?」
            
「傷つけそうで怖いんだよなー」
            
「.............」
            
「また」


その“また”が誰を、そして何人目をさしているのかもうわからないけれど、今この場では“最初に傷つけた女”であるあたしをさすんだろうなと思った。千石と最初に付き合った女はあたしで、あたしが下着の色を気にしだす前にあたし達は別れた。校内でもこの事を知っている人間は友人の南ぐらいで、その南がゴシップをばらまくわけはなく、実質誰もそのことを知らない。他の女で初体験を済ませた千石を、当時のあたしは見栄と意地とわが身可愛さにすべての痛みを隠して彼を許した。ヤッてもいない女に気をつかうわけもなく、許された気安さから千石はそれからことある事に相談事や揉め事をもちこんできて、傷ついた時にへらへらと頭を撫でてもらいにやってくる。

            
「大丈夫だよ、千石なら」
            
「そうかなー?」
            
「あたし千石が本当は優しいの知ってるし」
            
「うーん、自信ないなー」


「でも本当に良い子なんだよねー」と言いながら伏せた睫から覗く瞳の少年ぽさに(あいかわらず変わらないな)と思いながらあたしはコーヒーを一口、二口飲み干す。けれど、ガチャンッ!とカップをおいた音の大きさで、千石の目じりの柔らかさと、何故かこの手馴れた“物分りのいい元カノ”としての役割に、妙に苛立っている自分に気づいた。半分に減ったカップの底で、溶け切れなかったクリームと砂糖が渦を作っている。

            
「でもやっぱりに会うといいな、安心する」
            
「ふっ、何それ?」
            
「いや、なんかさ、何でも言えるし励ましてくれるし」
            
「古巣に戻ったような感じ?」
            
「そう、それ!俺さー時々思うんだよ、なんであん時俺馬鹿なことしたのかなーってそれで後悔するんだ」
            
「あれ?今頃あたしの良さに気づいたの?」
            
「うん、2年前の俺に言ってやりたいぐらいだよ」
            
「今からでも遅くないって、言ってやんなよ、百万回ぐらい」
            
「はははは」


            
「やっぱりだけだよ、俺をちゃんとわかってくれるの」



            
愛しそうに千石がこの言葉を言った瞬間、あたしは全身を駆け抜けるあまりもの気持ち悪さに身震いした。

            
何これ?
            
何なの?いつも言われている言葉なのに?
千石に言われるとうっすら優越感すら感じていた言葉なのに?
わけがわからない、どうしたのあたし?
            
ぞわっ、と汗が湧き上がり突然襲ってきた嵐のような激しい嫌悪感に耐え切れずに、顔を上げると千石と目があった。



安心しきった“あの日”とまったく同じ千石の目。

    
            
ああ、そうか。
あたしは突然理解した。

あたしはあの時、千石を許してはいけなかったんだ、泣き喚いて、酷い男だと、最低だと、なじって責めて、自分がどれだけあたしを傷つけたかわからせなければいけなかったんだ。にこにこと物分りのいい女を演じて、あの時、彼の最初の過ちを許したばかりに、許された彼は今も他の女の子を傷つけようとしている。彼が泣いて詫びようが、跪いて土下座しようが、あの時あたしは彼を許してはいけなかったんだ。
            
けっして、けっして。



「どうしたの?」

黙り込んだあたしを疑問に思って、いぶかしげに千石が問いかけてくる。震える唇を舐めて、あたしはあの日言えなかったことを今すべてぶちまけようと思った。心の内側で、何人もの過去の自分があの日開かれなかった扉を開けようと暴れている。言え、言ってしまうんだ、これから犠牲になる千石の彼女達のためにも。搾り出すような掠れた声であたしは口を開いた。


そして次の瞬間、知らない女がそれを言った。


「ありがとう、千石」


何がおきたのかわからなかった。
脳内に自分自身に裏切られた過去のあたしの悲鳴が聞こえる。
顔中の筋肉を強ばらせ、奇妙に口角を上げてあたしは千石に嬉しそうに微笑んでいた。


「あたし応援してるから、彼女との事」


過去の純粋だったあたしが開こうとした扉を、今のあたしが後ろ手で閉めて、永遠に閉じてゆく。あたしの嘘を信じて嬉しそうに頷く千石をみて(これでいいんだ)と思い、今度こそ唇から顔中に残酷な笑みが広がっていった。


あたしに甘やかされた千石はこれからも女の子たちを好きになり、彼が何気なく歩いた後の道には、その子たちの悲鳴と、嘆きと、淡い期待に埋め尽くされた色とりどりの死体が転がるだろう。あたしもかつて歩いたその道で千石を追いかける彼女たちを、もう生き返れないあたしは死体の山の一番下で「ざまあみろ、ざまあみろ」と笑ってやるんだ。


「他になんかいる?なんでも頼んでよ」


あたしの為に手を上げてウェイトレスを呼ぶ千石、呼ばれたウェイトレスは軽口を叩かれながら嬉しそうにオーダーを取る。あたしはあたしが作り上げたパーフェクトな男を眺めながらコーヒーを手に取り、これから死んでゆく千石の彼女たちに全ての憎悪と嫉妬、そして心からの同情を込めて底に沈んだ苦い塊ごと飲み干した。














.
.
090806提出/090930帰還